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看護師が体験した医療法人の不正事件



この事件当時、私は総務部にいました。

なぜ私が総務にいたかと言えば、当時は院内の連携不足が問題になっており「各部局から総務に1名を出して連絡調整係りとする」という方針に、看護部から当時新米だった私が捨て駒として選ばれたのです。

(入職当時の私)


その総務部の部長が、今回の話の主人公であり、私の上司でした。

(部長はとある俳優さんを太くした感じの中年パパ。写真はその俳優さんです)

部長は体も声も大きい熊のような方。
性格も体育会系です。

もちろん私は叱られてばかりでした。
でもその後のフォローが絶妙で、落ち込んでいると必ず声をかけてくれたり、飲みに連れて行ってくれたり、他部署からのクレームがあれば真っ先に矢面に立ってくれたり。
それでいて小さな問題なら陰ながらフォローしてくれる、体に似合わず気遣いの上手な方でした。

また頭の回転がとても速く、仕事をバリバリこなし、何を相談しても的確に助言してくれ、まさに部の中心人物であり、頼れるお兄さん的な、私が秘かに憧れる理想の上司でもありました。

もちろん総務に来たときは「なんで私が…」という不満を持っていました。
でもデキル上司とやさしい同僚達に助けられたこともあり、「総務って看護より面白いかも」などと考え、大変ながらも充実した日々を送るのでした。

しかし事件は起きました。

事の発端は、新聞記者の取材です。

「この病院は不正をしているのではないか?」と。

まさに寝耳に水です。
そんな話聞いたこともなかったし、ましてやなぜ総務に?
最初は、経営陣に取材をしていたそうですが、「そんな事実はない。総務に全部任せている。そっちで聞け」とのことで、上司や先輩が対応することになったのです。

そしてついには私にも退社時を狙ったアポなし取材が来たのです。
記者の方はちょっと高圧的で、決算書や裏金の根拠となるコピーを手に、不正の追及してきました。

実は記者の取材が入ってから、総務でも色々と調べたのですが「もしかして本当に不正があるのでは」という雰囲気になっていました。理事長の態度も怪しかったですし。

つまり私は何となく組織の不正を知ってはいました。
でもすました顔で「そんな事実はありません」と答えていたのです。

しかし私の手が震えているのを記者の方は見ていたのでしょう。
それから毎日のように退社を狙われたのです。

ただそれも2週間ほどの間でした。
その後は何事もなかったかのように静かになりました。

「やはり何にもなかったのでは?」

私は楽観的に考えていました。
部内でも徐々にその話題は無くなり、完全に過去になっていました。

しかし事態は一変します。

取材から半年後。

下請け業者が薬事法違反で告発されたのです。

業者の社長も逮捕。
これをきっかけに医療法人との癒着や、裏金が次々と明るみに出ていきました。

病院には取材陣が押しかけてきました。

「もうかばいきれない」

そんな空気が部内に蔓延していました。
裏金のほかにも不正融資や、理事の経費水増し(数億)、資金の私的流用、土地の不正取引なども発覚していたからです。
地検の捜索が入るのも時間の問題でした。

部内の方針は「すべてを公表する」となりつつありました。
自ら公表すれば、恩赦がかかり罪が軽くなるのを期待できますし、世間からのバッシングも和らぐと予想したからです。

とはいえ、経営陣の総入れ替えは免れないですし、一部の方々は逮捕されるでしょう。

当然、経営陣からの反発は猛烈でした。

「逮捕されれる訳がない」と甘く見ていたのです。
にもかかわらずバカ正直に告白するのはよっぽどのアホだけだと。

「お前は地検の犬か!」「誰に金を握らされたんだ!?」「どのポジションを狙っているんだ!?」と、攻撃の矛先は部長に向き始めました。

それでも部長は「すべてを話しましょう!これから良い病院を作っていましょう!」と、経営陣の説得に当たるのでした。

しかし翌年、ついに強制捜査が入ります。

朝8時の始業前。
大勢の捜査員が病院に入ってきました。
私たち職員は一か所に集められ、書類に手を付けないよう隔離されました。
部長や先輩方は、捜査員の方に呼ばれて、あわただしく動いています。
私はといえば、足が震えて何もできなかったのを覚えています。

強制捜査後、経営陣は証拠隠滅を図ります。
押収されていない書類を破棄したり、口裏を合わせるよう指示をしたり、帳簿の改ざんを指示したり。

「何をいまさら…」

部長があれだけ「全てを話しましょう」と懇願したのに。
私達は冷めた目で見ていました。

そして運命の日。

強制捜査から1ヵ月後。
ついに理事や相談役、元理事長が一斉に逮捕されたのです。

しかしここで予想外のことが起こります。

なんとあの部長までもが逮捕されたのです…。

不正を知りながら、それを率先して隠した特別背任という罪です。
部長は確かに不正を知っていましたし、それを隠すよう指示も受けていました。
でも決して不正に関わったわけでも、利益を得たわけでもなく、不正を隠すどころか、公表しようと本当に努力していたのに…。

理事達は、部長に罪を擦り付けて少しでも自分の罪が軽くなるよう、口裏を合わせていたようです(これは事件から数年後の週刊誌で知りました)

そして不幸は続きます。
元理事長は「誘惑を断ち切れなかった」「病院をお願いします」と遺書を残し他界。
病院は多額の補助金を打ち切りだけではなく、その返還まで求められ、一部業務の停止。さらには世間からの激しいバッシングに耐え切れず、多くの離職者を出し、診療科が次々と閉鎖に追い込まれました。

私たちの総務部も解散。
私は地方の介護施設に転属となりました。

そしてある日の朝…。

元総務の先輩から電話が鳴ります。

「落ち着いて聞いてね…」
「はい…」
「部長が…」

私は頭が真っ白になりました。

部長は金銭的にかなり苦しまれたそうです…。
多額の裁判費用はすべて自己負担。
退職金ももらえず、裁判中のため再就職もできず。

葬儀で見た奥様は憔悴しきっていました。
当時の総務部が全員集まり、みんなで泣きました。

あれから十数年。
病院は辛うじて廃業を免れ、昔のような規模はないながらも、名前を変え今でも開院しています。

色んな意味で、あの事件は過去になりました。
私もすでに別の病院で働いています。

組織に忠誠する生き方もあるでしょう。
でも組織に殺されることもあるのです。

人生は長い。
できることなら後悔のない生き方をしたいものです。

でも私は今も後悔しています。

なぜあの時…。


もちろん私ごときには、どうすることもできなかったと思います。

それでも…
それでも…

・・・

部長に似たあの俳優さんがテレビに映るたび、私の心がチリンと鳴るのです。

墓前には今年も多くの花が並んでいました。

悩める看護師・・・看護師辞めたい!

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